2011年 11月 03日
【守山宿】 守山は中山道の宿場町。 江戸幕府が中山道を整備した際、守山を67番目の宿場とした。守山本町だけでは不十分なので、今宿と吉身が加宿となり、「京発ち(だち)守山泊まり」(朝、京を発ったら守山で日が暮れる)という言葉とともに、おおいに発展した。 その名残を見ることができます。 街道沿いに立つ風情ある建物。 当然、現在は現在の住民がここで過ごされているわけですが、 それにしてもこの雰囲気はタダ物ではありませぬ。。 そして、一里塚へ。 【今宿一里塚】 県内に唯一残る一里塚。現在は東側だけ残っているが、もとは道の両側にあった。 大きな榎です。 街道を往く旅人はここで一休みし、何を思ったのでしょうか。。 苦難の連続だったこれまでの旅。 これから訪れようとする地への期待感。 草履の紐を結わえなおし、新たな気持ちを胸にして、密かに気合を入れ直したのかもしれません。 一里塚の写真を撮っていると、ちょうど散歩中だった町内会の役員さんに声を掛けられました。 「一里塚を撮ってるのか? ちょっと話を聞いてくれ。」と。 ○今の榎は2代目である。 ○下の生え際に大きな切株があるが、それはいつの間にか榎に寄生するように生えた別の木。 ○それが邪魔をして、本来の榎の養分が吸い取られるようになった。 ○榎の樹勢が弱まってきたため、数年前に私が切り倒したのだ。 今は榎も元気を取り戻してきた、とのことです。 貴重なお話、ありがとうございました。 役員さんと分かれた後、再び中山道にそってぶらぶらぶらり。 今宿の山本家。 大きな蔵を保有し、重厚かつ壮麗な佇まいです。 とてつもなく大きい… 【土橋(どばし)】 守山本宿と加宿である今宿との境。 昔は長さ20間、巾2間の橋で、川は木材の運搬航路であった。 安藤広重の「木曽街道六十九次」守山宿は、ここのからの風景とされている。 さあ、土橋を越えたら、いよいよ守山の謎に迫ります!
by esu-san
| 2011-11-03 00:35
| 近江路・仏女ブロガー旅紀行
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